Home > Advent Calendar 2013 | 雑記 > 「世界を変える」という言葉への違和感

「世界を変える」という言葉への違和感

この記事の所要時間: 248

Shin x blog Advent Calendar 2013 の 22 日目です。

3256212725_410a5d062c

「世界を変えたいんです!」

インターネット上やイベントなどでたまに見聞きする言葉です。それを聞くたびに何か違和感のようなものを感じていました。

世界を変える?

「世界を変えたい!」というフレーズは、威勢が良く、何か立派な志のように聞こえます。その想いは素晴らしいとは思うのですが、聞いている方からすると結局何がやりたいのかが分からず、「なんかすごいね」程度しか感じなかったりもします。

「世界を変える」ということは、変える前と変えた後の世界があり、その二つの世界には何かしらの差分があるはずです。この差分を作り出すこと = やりたいということであれば、その差分をそのまま伝えたほうが良いのではないでしょうか。

ガンで死ぬ人を無くしたい、飢餓を無くしたい、空飛ぶ自動車を作りたい、人型ロボットを作りたい、みんなが夢中になるゲームが作りたい、なんでも良いのですが、こういった具体的な「差分」ではなく、「世界を変えたい」というのはあまりに漠然としすぎていて、どうにもピンと来ないものがあります。

どの世界を変える?

変える対象の世界はどの世界なのでしょうか。地球上全てなのでしょうか。日本でしょうか。インターネット上でしょうか。それとも自分の会社?学校?コミュニティ?

世界を変える、と聞くと、地球上(で人間が住んでいるところ?)を指すことが多いような気がするのですが、よくよく内容を聞いてみると、実際はもっと狭い範囲だったりもします。

どこの世界をどうしたいのか、これも考えておく必要があります。

世界を変えたいのか、自分を変えたいのか

世界は、自分自身を通して見ているものです。世界という周囲を変えるのではなくて、自分自身が変わることで見える世界が変わるというのも良くあることです。

変えたいのは、世界ですか?自分ですか?

スローガン?

実際のところは、この言葉をスローガンやキャッチフレーズとして使っている例が多いように思います。

会社やコミュニティの代表者などが、一緒にやっている人を鼓舞したり、対外的なメッセージを発する時に使うパターンです。本当は具体的なものはありつつ、それを毎回話すのは大変だし、また意気込み、思いの強さを伝えるために、この言葉を使っているのかもしれません。

これは理解できるのですが、あまりに乱用すると、「結局、何をどう変えたいんだろ。」などと思ったりもします。

さいごに

実は、世界は何もしなくても変わっていきます。変化は少しづつで、かつ自分の望むような形になるかどうかは別にしても、変化はしていきます。

言葉尻だけを取れば、何もしなくたって「世界は変わる」わけです。

「世界を変えたい!」と思うなら、何か具体的に変えたいことがあるのではないでしょうか。もし、そうなのであれば、抽象的な表現ではなく、その具体的に変えたいことを伝えたほうが良いです。

そして、その具体的に変えたいことに向かってアクションを起こしていくことで、結果として、世界は「変わる」ものだと思います。

世界は「変える」ものではなく「変わる」もの、というのが近頃思うところです。

Pocket

follow us in feedly

Home > Advent Calendar 2013 | 雑記 > 「世界を変える」という言葉への違和感

検索
フィード
メタ情報

Return to page top